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マントうさぎ

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マントうさぎの随想「枯れ色」

一日・どんぐり_e0303636_9531763.jpg 父も母もその姉妹もすでにもう亡い。
 父の姉は山林のある農家にいて、私の母はその義姉と終生仲がよかった。
 どんぐりのなる柏の木々が芽吹いて、葉が手のひらほどの大きさになる頃五月のお節句がくる。
 父の姉、母の義姉、私のその伯母は、毎年その季節がくると、畑のものなど数々とりそろえた中に、林で摘んだ柏の葉を入れて送ってくれる。少し湿らせて何枚も重ねた葉が荷ほどきをすると良い香りを放った。母は愛おしそうに手の中で匂いを嗅ぎながら「これが本当の柏餅の柏」といって、子供達は母の作った柏餅を食べた。
 私の子供が生まれ、小さな庭のある新しい家に越した時、母はどんぐりの実を割って出ている柏の小さな苗木を伯母から送ってもらい、それを私の庭の隅に植えてくれた。
 それからおよそ五十年近くになる。育った柏の木が、両手の指をつなぎきれないほどの太さになって毎年どんぐりの実を降らせている。
 いつ頃までのことだったか、私は小豆を煮て、晒しの布でこし粉袋を縫って甘いこし餡を作り、米の粉、上新粉をねって蒸し器で蒸して柏餅を作って皆に食べさせた。テーブルに着く前だれもが笑って、私の差し出す、食べるものならなんでもいいという食欲を皆がもっていた時代が長く続いて、私はいつも台所にいた。いつの間にか皆うちを出ていって、私たちは二人である。
 夏野菜が出盛る頃だ。にんにく、玉ねぎ、鶏の骨付手羽もとを、オリーブ油で炒め、茄子、トマト、ズッキーニ、パプリカ、セロリの葉っぱ、ローリエ、なんでも入れて煮込み、塩コショウ、ほんの少しの砂糖で味を調える。ラタトゥイユのつもり。最近うちの近くに開店したパン屋 シノハラの、焼きたてフランスパンを買ってきてお昼にする。私たちは黙って食べる。時間をかけて煮込んだけれど、このラタトゥイユには何かが足りない。フランスパンはかたいと彼がいう。
 突然私は、愛おしいってなんだろうと思う。私は今まで家族を愛おしいと思ったことがあっただろうかと考える。私は繁殖し、ただ食べるためだけに生まれてきたのではないかと思いながら、スープを
すすっている。
 秋がきて、紅葉の木々が皆散り落ちてしまう頃になっても、柏の葉は散らないままで次第に樺色に変わる。葉に夕日が射すとき、一瞬赤く輝くのを見せながら冬になる。木枯らしが吹き荒れる頃、どんぐりもみな落ちて柏は裸木になる。毎年散り落ちた葉っぱには、どれにも無数に大小の丸い穴が空いている。虫にとっては大きな仕事のように見えるけれど私はその虫を見たことがない。
一日・どんぐり_e0303636_9545692.jpg

# by manto-usagi | 2016-10-03 09:59
 一日・猫_e0303636_10534925.jpg猫が前足の肉球で私の顔をとんとんとたたく。時計を見ると3時55分。まだ5分あると寝返りをうつと猫は今度は爪をすこしたてて、とんとんと顔をたたく。私は猫しか愛さないからすぐに起きて、下へ降りて新しいエサを入れ、2階へ戻ってテラスにスダレを巡らせて作った猫のガーデンへ出る窓を細く開けてやる。猫はエサをちょっとなめてから飛んできてガーデンに出る。ガーデンには私の育てた猫の好きな細長い緑の草が、さまざま鉢植えにして置いてある。猫はその草を尖った歯でむしゃむしゃ食べる。私は布団にもどりもう一寝入りする。起きる時間に目が覚めると私の裾で猫がぐっすりねている。昨年の冬に生まれて一歳になった冬からの猫の毎朝4時の顔叩きが、猫が決めて習慣になった。猫がかわいい。夏至も過ぎたころで4時の朝は明けている。
 庭では溝萩の丈が伸びきって日増しに赤紫が濃くなって蜂や蝶が飛んでいる。溝萩は先祖の墓にお盆にお参りすると咲いていて、墓の中に小さな丸い石があってその辺りを囲っている。その石は私の姉の墓だといつも祖母が話した。私は庭の溝萩をとても大切にしている。溝萩が咲くと会ったことのない姉のことを思い出す。
 春に種を蒔いた百日草は芽の出るたびにその辺をはい回るナメクジ、カタツムリ、ダンゴムシが食べてしまったが、何度も種を蒔き直して今は二尺ぐらいの高さになって、3日前から一斉に咲き始めた。真っ赤と、赤と、白と、黄色と、ももいろ。すっくと茎を伸ばしながら、曲がったりしてもこの花はこれから秋まで咲き続けるはずである。うれしい。花束にして幸子さんに持っていこう。幸子さんと私は私が花を手渡すとき、二人で花が咲くときのその気持ちがわかってしまう友人である。百日草を届けたら幸子さんは玄関の瓶にさした藪茗荷の実のついた枝を手にとって、「ほら」というだろう。私たちは一年経っても変わらない去年の藪茗荷の群青色の実にまた感激してしまうだろう。
 枝豆を茹でてお昼の御飯にする。温かい御飯を二重にして、間に鰹節と海苔にお醤油をかけたのを挟んで、上に、枝豆を炒めて、少し甘辛くした卵をといてまぜ、ふんわりとした炒りたまごをこしらえてのせる。それでは少しさびしいから、お刺身のホタテなどを四つ切りにして、少しお醤油をまぶしたものをのせて、夏の枝豆御飯。タマネギとジャガイモをやわらかく煮て裏ごしにして、ホワイトソースのクリームスープにする。なすびをうすくきざみ、塩もみにして洗ったものを固く絞り、庭に茗荷があれば千切りにして混ぜて、花がつおとお醤油をかけて香の物にする。私たちは二人で黙ってお昼の御飯を食べる。楽しく笑ったりするとたいていむせ込んだりするからである。
 庭に猫じゃらしは毎年こぼれ種で生えてくるので芽が出たばかりのうちに抜いてしまわないように気をつけるけど、その年によって猫じゃらしも気ままな数で庭に広がる。
 大きな穂が少しだけ出てきた。今日も猫と遊ぶ。猫のためにある草か、猫に猫じゃらしを教えてこの名を付けたのはだれだろう。ほんとうに猫はねこじゃらしが好きである。猫を遊ばせているのか私が遊んでもらっているのか解らないほど戯れて、大抵猫の方がぷいと止めてしまって、私もほっとする。一日が終わるころ、思い出してはまた猫がいじっている猫じゃらしの種が床いっぱいにちらばっている。
# by manto-usagi | 2016-07-18 11:14
出かける 出会う 愛でる ⑤_e0303636_1365880.jpg 父の生家は今は住む人のない空き家になっているが、上流から岡山市内へ流れる吉井川のほとりにあり、両親の墓もそこにある。父の生家でまだ祖父母が健在であったころ、私は夏がやってくるとそのほとんどをそこで過ごし、吉井川の流れの風景の中を駆けめぐり、川で河童のように泳いだ。
 作家内田百閒は、岡山に生まれ、幼少期を川との関わりの中で過ごした。少年のころから夏目漱石に憧れ、帝大へ入学し、すぐに漱石の門下に加わった。漱石が亡くなるまでの短い間であったが、終生漱石を師と仰ぎ、いつも間近にいて、漱石門下に出入りする人々を、読者が見るが如くに書き写し数々の作品を残した。また郷里へは以来帰ることはなかったが、岡山に深いこだわりをもち続けて、思いの丈をくまなく書き尽くしている。私の百閒との大きな出会いは、初期の作品『冥途』からである。「薄明の世界にひそむ不安と恐怖の正体を描き尽くして、昭和文学史の一角に独自の輝きを残した幻の名品」とある旺文社文庫・内田百閒集の『冥途』を手にしたときの衝撃は、そこから百閒の文学にのめり込むきっかけとなった。そして百閒の描く岡山のことは、私の父の育った生家の歳月や、私の遊んだ吉井川の思い出と共にある出会いでもあった。『冥途』をきっかけにして、私はすでに重版を重ねていたが、手に入りにくくなっていた旺文社文庫全39冊を揃えた。一冊二冊と探すために、一時期を東京神田神保町の古書店へ通いつめた。今、その頃からずいぶん時が流れて、もともと古書であった文庫は、書棚の上の方でぼんやりとした佇まいで霞んでいるように見える。
 文庫本が揃った後、そのころ私は友人と同人誌などを出していて、百閒のことを書いてみようと思いたった。百閒の文章をたどって歩きながら旅をして、そこへ自分を置き、百閒の気分を味わうのである。「内田百閒写し旅」と題して以後「百間川のほとりから」「東海道線苅谷駅」「漱石山房の坂」「信濃川の吹雪」「東京の富士山」と旅を続けた。すべて旺文社文庫から引用した百閒の文章と、私の旅の実録の掛け合いである。私は旺文社文庫を読み尽くし、どのページにどの文章があるかがおよそ見当がついていた。旅は百閒に遅れること何十年。でも行ってみて過ごした場所で、古びることのない百閒の時間を味わうことができた。
 百閒の作品『阿房列車』は昭和25年に始まった。翌年百閒は『鹿児島阿房列車・呉線経由』に乗った。そして百閒は瀬戸内の小さな町、尾道に降り立った。……「駅の前の広場のすぐ先に海が光つてゐる。その向こうに近い島がある。小さな汽船が島の方から這入つて来たところである。潮のにほいがして、風が吹いて、頭から日が照りつけた。……駅のすぐ前の、海を背にした広場に、小さな見世物小屋があつて、看板の前で黒眼鏡を掛けた男が口上を述べてゐる。」……と書く。平成6年「百閒写し旅」で私は尾道の駅に降りた。「私は百閒が立ったと同じ尾道駅前に立った。海まで数十歩ほどの駅前は…バスとタクシーにすっかりふさがれて、もう広場ではないが、潮のにおいが流れてきて、すぐ先に海が光っている。」と書いた。それから、尾道の町をぶらぶらと歩いて「坂を登って、暗夜行路の志賀直哉の旧居、林芙美子の碑の側を通って下ると、うずしお小路の裏手の路地に迷い込んだ」と書いている。人気のない路地の裏手に瀬戸物屋があて、そこで私は、白い陶器の水滴に出会った。店の外の竹かごの中に盃や、小皿や、小さなものがほこりをかぶって入れてあった。水滴は手にとってぬぐうと赤い梅がちらしてあってとても美かった。店の奥に声を掛けて「これください」というと「もっていきんさい」という。「こんなにきれいで気に入っているから買います」「そんなら、百円、そこへおいて」。私は百円玉をかごの側に置いて「ありがとう」といった。以来この水滴を手にして撫でてみるたびに…これを作った人も店の人も、もういないだろうという気がする。
出かける 出会う 愛でる ⑤_e0303636_13191277.jpg 私は「写し旅」の最後を「東京の富士山」と題して都内を歩き回った。ある日、九段下を神保町の方へ歩いていると、道の右側に古い書道の品々を売っている店があった。ウインドウに書の軸が掛けてあり、その前にいくつかの水滴が置いてあるのが目についた。青磁色の極小ともいえる水滴を、たぶん少し高価だった気がするが、何となく百閒の尾道の水滴を思い出しながら、それを買った。…これに水を入れて使ってみたいとときどき思う。
尾道は「瀬戸内しまなみ街道」が通って、あっという間に大きな町になった。
春、お堀の桜を見ての帰り、あの小さな水滴を買った九段下の店を思い出した。その辺りを探すと、店はビルに変わっていたが、看板には大きく「文政元年創業」と掲げて今も続いていた。
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# by manto-usagi | 2016-05-28 18:07