
「荒地」の詩人がまだ健在で、その後を継ぐ現代詩の詩人と呼ばれる人々の前にまだ大きな存在感を示し尊敬のまなざしを受けて、ジャンルの中で活躍し、または慎ましやかに見え隠れしていた頃、人々がこぞって自分を模索し、楽しみとしての時間をまさに謳歌するかにみえる時代が始まっていた。それは今にして考えると不思議なカルチャーセンターのバブル期であり、「荒地」に代わって詩の一時代を盛んにした現代詩のバブル期であったように思う。カルチャーセンターへは、学生や、勤め帰りの若い男女や、一人二人の老人もいたが、やっと何かを学ぶと理由のついた時間を与えられた家庭の主婦という存在が多く集まった。私もそのころそこにいた。それまでは書物でしか触れることのなかった詩というものを、詩人が教室の先生として登場し、その詩人が独特の個性を発散する夜の教室の時間に、皆夢中になり、詩を読み、目の前に詩人の話を聞き、自らの詩を書くことを試みた。私はその頃こんな詩を書いた。
さんがいノ外で
おばさんが定着するかに見えた時代があったとすれば
それは今をおいてはない
かつては水まわりで
水を流していた
みずを向けられ
おばさんになる
位置はまだ決まっていないが
言葉として
おばさんは自らそう名乗ることにも踏み切っている
おばさんが出かけたのは
もう何年前だろう
「家」は
見つかっただろうか
近頃
はびこったおばさんが道を塞ぐ
という噂を聞く
そろそろ
水に流して
帰ってくるかもしれない
ほら
おばさんが歌っている
あれは第九交響曲
もう暮れるようだ
位置だけでも決まるといいのだけれど
どこかで若い詩人の目に触れたこの詩は、詩の雑誌で「時代を切り取った」などと評された。そして、結局おばさんの位置など決まるはずもなく、みな「おばあさん」になってしまった。時代は変わった。
週に一度のカルチャーセンターの夜の教室のあとは、たいがい行きつけのスナックなどで過ごすのだが、先生はいつも畏敬の念をもって遠巻きにするどこか世慣れない生徒に囲まれて静かに座っている。皆は飲むでもなく、食べるでもなく、時々店の店主が並べていくものをつまんだり、ビールを飲みたい二三人が勝手に飲んでいたり、かといって若いとはいえないことを自覚しているめいめいは、議論などはせず、まして羽目をはずすようなことはなく、いつまでもだらだらと時間を過ごし、皆終電がなくなるといって一人二人と帰っていった。そのうちに何人かで同人誌を始めたり、何人かは自分の詩集を出し始めた。その頃は書き慣れないものを世に問う本人も、それを受け取る読み手も、今より少し本気で、詩の世界があるとすればそれをかいま見たいと、憧れの世界にむきあっていたように思う。そしてたぶん今はもうなくなってしまったであろう教室の空間で、皆詩人気取りの時間を楽しんでいたのだろうと思う。
最終電車近くになって、同じ電車で一時間ほどいっしょに帰ることになるKさんは優しい人で、いつも一駅先に降りるとき私の電車を見送って動き出した電車に軽く頭を下げて送ってくれた。教室のグループから後に詩人として世にでた人はたぶんなかったと思うけれど、そのころ若いKさんは頭角を現し、詩壇にも期待されていたと思う。そのKさんがほどなく癌で亡くなった。まだ若くて優しくて静かで男前のKさんはどんなに悔しかったろうと今も思い出す。

「ちょっと並ぶこともあるけれどおいしい中華屋さんを教えましょうか」とKさんから教えられたA飯店に今も時々通っている。いつも近所の人らしい人が文庫本を読みながらだったり、手ぶらの中年の夫婦連れだったりで何人か並んでいるが、そのくらいならあきらめて、ひきあげたりはしない。できれば今日はここで食事をしたいと思って出かけるから並んで待つ。間口一間の引き戸が入り口。お子様おことわりとある。カウンターが7つばかり、そこを挟んで一間ばかりの厨房。二人がけのテーブル席が3っつ。11時開店午後2じまで。厨房で大鍋を振っているのはカウンターから隠れてしまいそうな小さな老人。入り口側に主にラーメン担当の息子さん。奥にいつも餃子の火加減をみながら時々入ってきた客に水を運ぶ奥さんの老婦人。Kさんから教わって私が通うようになってからもほぼ14、5年この様子は変わらない。少しきしむ引き戸を引いて店に入ると、息子さんが小さな声で「いらしゃい」という。席についてお客は待つ。頃合いを見計らって息子さんが「何にしましょう」とこちらを見る。多いとはいえないメニューから「何番でおねがいします」と注文する。そこへ通りがかりの人も時々入ってくる。一瞬せまい店内に戸惑う風で、でもいきなり「焼きそば」とかいう。老人の店主は鍋を手にぎょろっとにらんで「お待ちください」ときっぱりという。にらむのも声を発するのも老店主だけ。客は「なんだこの店は」とつぶやいたり、「あいそないなあ」などという。この時、店主は臆せず「どうぞお帰りください」という。「なんなんだ」と椅子をけって出ていく客。そんなとき残った客はちょっと秘密結社にいる気分で、食事と共に店主の美味の哲学を味わっている。食べ終わると入り口の息子さんにお金を払って「ごちそうさま」と出ていく。息子さんは小さく「ありがとうございました」という。店では「いらっしゃい」「なににしましょう」「ありがとうございます」ときどき老店主の「お待ちください」だけがこの店で聞かれる声。おいしかったまた来ようと思う。
冬のある日「本日休業」の札がさがっている。ふと、老店主は元気かしらと気になる。しかたがないので路地を街の方に抜けようとしていると、背をかがめすたすたとやってくるスーツ姿の老人とすれ違った。ぎょろっとした目で笑って「お寒いですな」といった。A飯店の主人だ。私はもしかして常連さんに入っているのかしら。そう思うと路地の向こうがうるんでかすむようだった。振り向くともう角をまがって見えなくなっていた。
A飯店の店主の老人はますます小さくなって、大鍋を炎の上であやつり大きなお玉で塩などちょっとすくって、小皿で味見をして、皿にこぼれんばかりの舌を焼くような食事を出してくれる。二年ほど前に奥さんの老婦人が見えなくなって、息子さんの奥さんらしい人が餃子のかかりになっている。若くはないが明るい人でなんだか野に置かれた可愛いお地蔵さんのような雰囲気をそのあたりに作っている。けれど店は相変わらず静かである。そして味は変わらない。
Kさん。ありがとう。この前久しぶりにA飯店へ行ったら、隣りにあったあの大きな材木屋さん、どこかへいってしまって、ビルが建ち始めていました。私がそこを見つめていると並んでいた老人が「古い店でしたけどネどこへ行ったのでしょうか」と話しかけてきました。