
庭で小さな焚き火をしていると虫が飛び込んできた。棒で払うとかたわらの草に、鮮やかな緑の透きとおった羽を四枚ひろげた二センチほどの虫が落ちた。冬にも飛ぶのか草カゲロウと思ったが虫の名は知らない。儚げな羽をいつまでも振るわせている。どこか足の先を火に炙られたのだろうか、飛べるのだろうか。
およそ半世紀ほどが経ったが、山を一つ切り崩してできた丘の住宅地で暮らしている。山の一部が屏風のように薄く残されていて、かつてはその山が、切り立った崖のように見えていた住宅地の奥まったところに私の家はある。今その斜面にも木が茂り、遅い朝日が昇る山際には、山桜がいつの間にか大木になって桜のころは道に花が舞い落ちてくる。小鳥たちのやってこない日はない。
晴れた冬空に焚き火の煙が昇っていくと、葉の散り落ちた雑木の茂みに、メジロ、エナガ、シジュウカラらが群れて騒ぎだす。コゲラが木を打ち続ける。カラスもやってきて、カォ、カォ、と首を振っている。鳥たちは焚き火のあいだじゅうそこを離れない。私はそんなふうに鳥たちと交信を交わす。しかし鳥たちがどうして今そこにいるのかをたずねてみることはできない。
焚き火の傍らに朽ちかけた小さな濡れ縁があって、そこに胴回り七十センチほどの陶器のカエルを座らせてある。白目のところが丸く飛び出て、三センチばかりの黒目を付けていて、顔いっぱいの口を笑う如くに結んで姿かたち全体がとても可愛い。ところがカエルには、気がつきにくいが背中に本物を模した大小五匹のカエルがのっかていて、ちょっとぎょっとする。
このカエルを「無病みガエル」という。
数年前の夏、私は京都伏見の竹田という所を用があって通っていた。
その時偶然そこで開かれていた、大がかりな骨董市に遭遇して立ち寄った。さまざまな古物を扱う店の隅にこのカエルはあった。一目で気に入った私は少し高価であったし、重いものであったが、夏のさなかに自分の手で家へ持って帰ってきた。老舗と思われる骨董店の老人が説明した言葉も信用した。「ここに信楽のカエルを置くのは偶然なんですが、これは高齢で亡くなった知り合いの名工の手になる無病みガエルという縁起物です。もうこんな仕事のできる人はいないと思います。目もとがちがいます」と言った。
以来私はその縁あって家にきた信楽のカエルを「むやみちゃん」と呼んで日々心を通わせている。
総じて私はデフォルメされた鳥や獣やその他小動物の人形が好きだ。ぬいぐるみには全く興味がないという友人がいる。市松人形や、フランス人形を、コレクションしている人がいる。人を生き写しに拵えた現代作家の人形展へ出かけていくものもいる。その人たちの気持ちの邪魔をするつもりはないが、その人たちと遊ぶなら、私は部屋のぬいぐるみたちと過ごす方がどれほどしあわせかと密かに思っている。
人を模した人形にも、人形浄瑠璃の人形の首やお能の能面があるが、これらは人の様を、人が体を使って表現する道具であるので、生きていなくても、生き死には人の手にかかっているというのが魅力である。ただじっとしているヒトガタの人形は、その嘘にどこかおぞましさがある。そこのとのところを愛でるのだろうか。
私はじっと動かずにそこにいるだけの、しかしその縁は自分でつないだ、例えば旅先でふと出会うとか、ある日私の指先から生まれでる、そういうぬいぐるみや、おきものたちと心を通わせながら暮らしている。
さて「むやみ」を連れて戻ってからその置き場所をいろいろに迷った。どうもそこでもここでもない。そうこうしているうちに冬になり、珍しく雪が積もった。雪の中に出たいふうであったので置いてみた。その「むやみ」は外の景色の中で格別であった。それから「むやみ」は外の濡れ縁に居ることになった。
それからというものその名工の手になる「むやみ」の目がものをいいはじめた。
黒目に差す光次第「むやみ」は空をながめたり、山をみたり、庭をみたり、飛ぶ鳥を見たりして過ごす。私が近づくと私のその日の心を写して私の方を見る。
背中に載った五匹のカエルがちらっと見えると、私は家族の息災を祈って手を合わせたらどうかとも思うほどありがたい。しかしこのかわいい「むやみ」にそこまでは背負わせられないという気がしてしまう。
日が暮れはじめて私は焚き火の火を確かめにでる。今夜は月も昇り、ふくろうも鳴きはじめた。草のまわりをよく探したけれど、草カゲロウらしき小さな虫はどこにもいなかった。